#ハノイ #ハロン湾 #ホーチミン #一柱寺 #タンロン城 #文廟 #ハノイ大教会 #ホアンキエム湖
この度、おひとり様の旅行プログラムを利用し、ベトナムのハノイ、ハロン湾観光を楽しんできました。その旅行記録です。ご参考になれば幸いです。
ホー・チ・ミンは、フランスの植民地であったベトナム中部で生まれた。儒学者である父の影響を受け、幼少から論語の素読を学んで中国語を習得したという。父が宮廷に出仕するようになると彼も都のフエに移り、ベトナム人官吏を養成する国学でフランス語を学ぶようになった。しかし、在学中に農民の抗税運動に携わったために当局から目を付けられて退学処分となった。1911年にサイゴンを出てフランスへと向かい、初めての外国暮らしを体験している。
ホー・チ・ミンは、植民地時代からベトナム戦争までのベトナム革命を指導した建国の父と呼ばれている。彼の遺体が安置されているホー・チ・ミン廟を外から見学、廟はベトナム人民軍の軍人によって警護されていた。彼は、存命中に自己顕示を目的に行動したことがほとんどなく、その死に際しても本人は火葬および北部、中部、南部への分骨を望んでおり、個人崇拝につながる墓所の建設を望んでいなかったが、ベトナム当局はその遺書を全文公開せず、政治的な判断からこの廟を建設したということだ。
ベトナム政府は「ホー・チ・ミンはその生涯において誰かと恋愛関係にあったことはなく、結婚もしていない」(=生涯の全てを革命に捧げた)としている。ガイドの話によると、恋愛関係にあった女性がいたが、フランスに向かってから以降会うこともなく、オー・チ・ミンは将来独身を通し、ベトナム国のために一生を捧げた。その女性も独身を貫いたそうだ。そうしたことが、オー・チ・ミンに対する、国民の畏敬、尊敬の念を生み出しているとのこと。
ガイドから話はなかったが、インドネシア同様、ベトナムでも終戦後に、日本軍は現地に残りベトミンに加わり、フランスからの独立のため
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